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5月5日 カリアリ Cagliari [Sardegna]


ホテル・カラモスカ。ここに泊まっているのはいったいどういう客なのだろうか。昨日の夕食のとき、ホテルのレストランで隣に座っていたのは、フランス人の熟年夫婦だった。客がフランス語でオーダーし、ウエイターはイタリア語で返すという奇妙なコミュニケーションは、何事もなかったかのように成立していた。もっとも、僕の拙いイタリア語やフランス語の方が、サービスする方にとってはよっぽど迷惑なものであろうが。そう、このホテルのレストランで一番謎な客は、あたかも作家のフリでもするがごとく、何かを眺めては黙々とメモを書いている(それがこのトラベローグ)、謎の東洋人である僕である。さて、日替わりとおぼしきレストランのメニューは筆記体の手書きで、何が書いてあるのかさっぱりわからない以前に読めない。なんとかZuppe(スープ)、Spaghetti、Pesce(魚)と知っている単語を発見して注文したら、スープが出てくるはずのところで、ムール貝の、スープというよりも山盛りが出てきた。こんな貝の山盛りを見るのは、初めてヨーロッパを訪れた時にパリ・レアールのレストランで全くのあてずっぽで注文して出てきた、生牡蠣以来である。その時はアフタヌーンティーのケーキスタンドを大きくしたようなものに、合計20個あまりの巨大な牡蠣が盛って出された。やはり適当にオーダーをした連れのA野君は、鉛のような見た目のしょっぱい魚のスープに、スプーン一杯も飲まず白旗を上げていた。話がそれたが、その貝のズッペは基本的ににんにくとオリーブ油でいためたようなシンプルなものながら、何か深い味わいを感じさせた。それは新鮮さゆえであろうか。他の料理も美味しい。その料理の内容とちょっとした居心地の良さに、だんだんとここのホテルが、新しくも大きくもないけれども、このエリアで一定の存在感を持ち続けているホテルであることに気づかされはじめる。貝と格闘している間に、曇り空に夕暮れが訪れる。それは赤みがかった何とも含みのあるものであった。

朝も海岸を散歩する。すっきりと晴れ渡ってはいないがゆえに、小さな湾に抱かれたその風景は、この南の島にあって控えめな美しさを感じさせる。しばし物思いにふける。そのあと、バスを乗り継いでカリアリの中心街まで行く。ガイドブックにコインランドリーがあると言うので、洗濯物をもって出かける。しかし、中心街でも下町っぽいエリアだったその番地の場所には、もう何の店だったのかわからない、何年も前に打ち捨てられたような廃墟しかなかった。逆にもしそこに洗濯機がおいてあったら、これでは洗濯物が汚れるのではないかと、使うかあきらめるか迷ったに違いない。あと旅行日程も少ないので、であるならば買うのも良いかと、駅前にあるラ・リナシェンテ(La Rinascente)というイタリア本土資本のデパートに入る。こういうときばかりは、大きな都市にいればこそのメリットだ。立派なビルに構えたお店のロゴやサインの色使いがかわいい。まさにイタリアといった感じのデザインの、上質な家庭用品なども取り揃えてあった。やはりここは島というよりも、都市だ。スポーツ用品の売り場で、Tシャツなどを買うことが出来た。

近くにインターネットを使えるスペースがあったので久々にメールチェックをし、その後駅前の広場にあるツーリストインフォメーションに行った。サルデーニャにはヌラーゲと呼ばれる先史時代の石造集落跡が点在しているが、その最大のものがバルーミニ(Barumini)のス・ヌラージ(Su Nuraxi)。サルデーニャ語の名称を英訳すれば、その名もまさにザ・ヌラーゲズである、サルデーニャきっての先史遺跡、ここへの行き方を確認するのが目的であった。しかしこの時期は、往路がカリアリ14時、復路が早朝の、1日1往復しかバスがないという。カリアリ発のパッケージツアーのようなものもないという。タクシーで行くには100ユーロでは済まないほど高いようだ。インフォメーションの人も、実際皆さん困られていますが、手だてがないんですと言う。それで何とかしないところがイタリアらしいといえばらしいが。非常に悩んだ結果、今回はあきらめることにした。僕は有史以後の歴史はさておき、考古学についてよく知っている訳ではないので、特に先史時代の遺跡を見て、何がわかるかわかったものではない。サルデーニャを再訪する機会があればもう少し先史時代を勉強し、その時こそバルーミニに行こうと決める。

バルーミニに行く代わりとして、ツーリストインフォメーションからその足で即カリアリの考古学博物館に行く。ここにはサルデーニャ南部を中心とする各地のヌラーゲ遺跡からの出土品が収められている。考古学通には大変興味深そうな展示が数多くあったが、本当にガラガラだった。説明は多くがイタリア語のみだった点も、私のような通ではない旅行者にはちょっと残念であった。一部だけついている英語の解説を読み流しながら、ぐるっと一周した。正直、事前知識以上の理解を深めることは出来たとは思えなかったが、バルーミニをあきらめるほどにはおなかがいっぱいになった。

その後、博物館に隣接するカリアリの旧市街を歩いて回る。ここの旧市街は、城壁に囲まれているだけではなく、それ自体が南北に伸びた細長い台地の上にある。規模もかなり大きい。現在は周囲を市街地が取り囲んでいるため、そこだけ街がにょっきりと起立したような景観となっている。中は、サッサリの旧市街同様に高い建物が密に立ち並び、かつ手入れの悪いものが多かったが、あまり危険なにおいはしなかった。まだ人も住んではいるのだが、その急坂の上のロケーションや、車の進入も制限されているというアクセスの悪さゆえに、典型的なスラム化から免れているのかもしれない。何世紀とそこにあるものか、伝統に回帰した新住民の手になるものなのかはわからなかったが、工房の前も通りかかった。そして、あちこちでEUの助成を受けた自治体による建物の修復保全作業が行なわれていた。ただ、まだ面的というよりは点として事業が行なわれており、全部一巡する頃にはまた他が朽ちてきているに違いない、気の長い話のようであった。ヨーロッパに入って10日近く。石積みの建物の放つ、先人の喜びも絶望もすべて溜め込んだかのような歴史の重みがだんだんと面倒くさくも感じられてきて、スクラップ&ビルドを前提とした日本の街が、考え方によっては好ましく思えてくることもある。
 



旧市街中心のカテドラル。その美しいファサードの向かいには、崩れかけた建物が並ぶ。正面から見ると有り難みのある聖人の像も、後ろから町並みを背景に見るとまるで肩を落としているかのよう。
 



向かって右側だけ修復の終了した建物。早速こじゃれたバールが入っている。
EUからの補助も受けているようである。
 

西側を見下ろす。
 


同じく東側。一部は人工のアーチの上に街が築かれている。
 

ここの旧市街のハイライトは、台地の先端にあるBastione San Remy(サンレミ要塞)という旧市街と現市街を結ぶ門と階段状の建造物を持つ広場である。この建造物自体は20世紀初頭に建設されたもので、旧市街の建造物としては比較的新しいものであるが、ここの広場から、足元の現市街やカリアリの港、更には南に海岸線、東西に開発の進む郊外を一望することができる。平日で人も少なく、しばらくぼーっと佇んでいたら巡回中のカラビニエリ(憲兵隊)にパスポートのチェックを受けたが、特に何の問題もなかった。ただ、ここは夕日の名所とはいえ、ホテルまで路線バスを乗り継いで帰ることを思うと真っ暗になるまで市街地にいるのも不安であり、カラビニエリが消えた後、駅前のバスターミナルまで戻ってホテルに帰ることにした。
  




Bastione San Remyと、これを囲む広場。空中広場から、ゲートを抜けて空へと飛び立っていけるかのよう。
 

夕食の前に、明日チェックアウトする旨を伝える。にわかに情が移ってきていて、少し寂しく思う。今夜もホテルのレストランで食事をとる。散財も決め込んだ。まだ空いていたので、景色の見える席に座らせてほしいと頼む。程なく空が色づいてきた。曇りがかったブルーグレーの空に赤みがかかる。よくあるオレンジ色の夕暮れではない。どういうわけか、とても赤みが強い。その赤い色が、ブルーグレーの空の色とまじりあって、グレーがかって、紫色のような模様を描いている。ハワイのゴージャスなサンセットとは全然違う。ある意味サルデーニャらしい、含みのある夕暮れだ。名残惜しく思う。

食事の方はというと、今日は昨日にまして素晴らしいものであった。Pennette Casamoscaというこのホテルの名前をとったペンネ。魚介類のペンネだと言うので頼んでみると、めちゃくちゃ美味しい。昨日からおなじみのムール貝に、ハマグリ系の貝、ミニチュアのサザエのような貝、それにタコとイカ。これも基本的ににんにくとオリーブ油でいためているのだが、皿の底の油の色がオレンジ色がかっているのは何か秘密があるのか。貝のエキスがしみ出ているだけなのかわからないが、とにかく美味しかった。ウエイターに拙いイタリア語で美味しいことを伝えておいた。残念ながらそのオレンジ色の正体を聞くことは、僕の語学力では出来なかった。メインに、Filetto ホニャララというものを食べる。フィレ(ヒレ)だから、牛もしくはヒツジが来るだろうと、あてずっぽうでオーダーしたら、牛らしき大きな肉がどーんと来た。ちょっと普通の牛の味と違うので、何の部位かよくわからないけど、サルデーニャ牛かなあ...と車窓から見た牛のことを思い出しながら、200gはありそうな肉を平らげる。高炭水化物ダイエットに続いて高タンパク質ダイエットもOKだ。ただ最後のデザートはちょっと厳しかった。調子に乗ってオーダーしたが、チーズ詰めの揚げ餃子みたいなものに、浸るほどドロリとはちみつの液がかかったご当地デザート・セアーダス(seadas)は、死ぬほど甘かった。でもここで残したら帰国してから悔やまれる。完食。

部屋に戻り、パラパラと英語のガイドブックをめくる。イタリア料理用語のコーナー。さっき食べたデザートのことも載っている。ふと目が止まった言葉。cavallo。さっきメインに食べた、フィレ・ホニャララの肉だ。横に英語で、horseと書かれていた。


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