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4月27日 東京〜ミラノ〜ジェノバ Tokyo-Milano-Genova [Mainland Italy]


 

ミラノから小さなコミューター機に乗り換え、ジェノバのコロンボ(コロンブス)空港に到着したのは夜も10時すぎ。東京より遅く始まる夕暮れ時が終わり、周囲がすっかり暗くなってからだった。空港と市街を結ぶ3ユーロの路線バスに乗ること15分ほど。あまり治安の良くなさそうな港湾・工業地区を抜け、ネットで予約しておいた"Balbi"というホテルに近いプリンチペ駅まで向かう。駅周辺のバールには若者が路上までたむろっていて、旅の疲れと眠気にとりつかれていた身を不安にさせたが、ただ春の夜を楽しんでいるだけのようだ。少し道に迷いながらもホテルに着く。イタリア都市部の安いホテルの例にもれず、古いビルのワンフロアをリノベートしたものだったが、質素ながら清潔でよくメンテナンスがされており、ひとり旅には申し分ない。いや、ひとりでは持て余す程の広い部屋をあてがわれたほどだった。英語も達者な主人は遅い到着を何もとがめることはなく、スムーズにチェックイン。熱すぎるシャワーに手こずるもなんとか浴びて、1日目の眠りにつく。
 


4月28日 ジェノバ Genova [Mainland Italy]


 

朝起きて、まずはホテルに近いプリンチペ駅の周囲をうろつく。駅は両端をトンネルに遮られ、急坂が迫っている。ジェノバの背後に広がる山の上から街を見てみようと、ホテルでもらったガイドで知った、駅近くから出ているアプト式の電車に乗り、庶民的な街並のなかを上っていく。相当な急斜面にアパートが連なっているのは、香港を彷彿させるものがある。しかしこの電車、「技術上の理由により」すでに2年前から途中駅までの運行となっていた。そこは何の眺望もないところだった。
一度プリンチペ駅まで戻り、今度はホテルと反対側の、Zeccaという広場から出ているfunicolare、ケーブルカーに乗ってみる。出発駅は崖の内部、洞窟のようなところだった。そこから高度300mのRighiへ。眺望はかなり微妙。
 


 

どうしようかと思っていたら、遠足帰りの小学生らしき軍団が、ケーブルカー乗り場にやってきた。さすがイタリアン、子どもでもめちゃくちゃうるさい。小さなケーブルカーに一緒はかなりつらそうだったので、歩いて下山することを思い立つ。下りの道は、明るい稜線伝いに伸びていた。正面に市街地、左手に谷あいの住宅地が広がるところが、タンタラスの丘の道を思い出させる。ホノルルにいた時は東京のことをよく懐かしく思っていたのだけれど、東京のことを暫く忘れようとしてやってきたこの地で、ホノルルのことを思い出すのはどういうことだろう。
 


 

最大30度の急坂。途中、お城のようなものがあったりするところが、都市国家だったころの歴史を感じさせる。道に迷いつつ、1時間ほどで中心部まで戻る。脚がガクガク。

昼食は手頃な店が見つからず、早くもマクドナルドのお世話になる。店内の入ると、キャンペーンのコピーとして、日本と同じようにI'm lovin' itを使っていた。カップに書いてあった商標登録の記述を見ると、どうもフランスや中国などは、I'm lovin' itに相当する自国語を使っているようだ。現代イタリアは日本同様、アメリカ文化の前にアイデンティティの混乱をきたしている。それはレコード屋に行っても強く感じる。クオリティが高く、かつオリジナリティのある音楽がみあたらない。音楽用語を独占することに象徴されるイタリアの音楽の栄光は、現代においては消え失せてしまっている。

夕食はイタリアならではのものを食べようと、中心街のちゃんとしたリストランテに入る。オリーブオイル・塩・パセリで和えてある、タコとじゃがいものサラダ。レモンをしぼって食べる。そして、ジェノバ名物のバジルのペストのパスタ。こちらもじゃがいもと、いんげん豆が添えてあった。

30ユーロも払うと、さすがに美味しいものが食べられる。しかし、ステレオタイプな「イタリア的」ハートフルなものを感じさせない。ジェノバというのはそういう街なのか。大都市でもベネチアのように観光で食っている街を除き、そういうものなのかも知れないが。

店ではBGMで、何ごともなかったかのようにミーシャ・パリスのmy one temptationがかかっていたのが印象に残った。

=gallery=
 

町中にまでトンネルがある。その上にビルという、垂直的高度空間利用。
 

この街も、いまは山の上が良い住宅地。
 

旧市街地中心の宮殿では、偶然日本の展示会をやっていた。
 

旧市街地は細い路地が行き交う。昼でも真っ暗な通りもある。
居住環境として良い訳がなく、アフリカ・アジア系の移民者のエリアになっているところもあった。
 

夕暮れが近づく。アーチがイタリアらしい。
 

ポルト・アンティコという、いまやどこの港湾都市にもありそうな海辺の再開発エリア。
観光名所という水族館の隣に帆船が置いてあったが、ふざけているのか本気なのかわからない
舳先のオッサンが謎。
 


4月29日(1) ジェノバ〜ニース Genova-Nice [Mainland Italy]

ホテルで前日、チェックインしたときの人がいない時間に、イタリア語しか出来ないおじいさんとやりとりをして借りることが出来たインターネット。コルシカへの船が出る埠頭の正確な位置を確認しようとしたら、なんとジェノバからは季節運航で、この時期は出ていないことが判明する。日本でも同じページを見て、ここまで来たというのにどういうことか。何故そんなミスを犯したのかわからないが、幸い今日午後ニースから出る船があるのを発見する。朝9時にジェノバを発って鉄道でニースまで行き、そこから船に乗るプランに変更した。

チェックアウトの時はまた英語の出来る人だった。ここのスタッフは親切。言うまでもなく、ロケーションも便利だ。駅まで行って、ニース行きのチケットを買う。特急券を含めて、わずか15ユーロ。最初、話が通じてなかったのかと思うほどの安さ。春のリビエラ、3時間ほどの汽車の旅。

観光気分と裏腹に、暫くは工業地帯やら何やらが続く。ジェノバはやっぱり観光地というよりも、商工業都市という印象の強いところだった。滞在中は地中海らしからぬ曇りがちであったが、これは地形的な要因もあるのではないかと思った。曇っていては観光地に向かない。暫し、急峻な山と海に挟まれた猫の額ほどの土地に、人の生活にかかわるあらゆるものを詰め込んだ光景が続く。日本に通じる景観だ。

だんだんと工業的なものがなくなってきたあたりで、線路が複線から単線になった。Findeという駅を過ぎると、海に面して走るようになり、急速にリゾート地の気配が濃厚になって来た。それまで目についていた、いかにもイタリア的な、アパートの合間にはためく洗濯物の姿が目立たなくなってくる。そもそも建物自体がきれいだ。ビーチは灰色の砂、もしくは粗い礫のように見える。Albengaというあたりで、ぽっかりと平野に入る。この行程で初めて大きな畑を端かに見る。花卉類の栽培もしていて、見てもきれい。

しばらくすると再び山がちになる。線形が異様に悪く、台車がきしむ音をたてながら、トンネルと集落を交互に走り抜けていく。Alassioというところまで来ると、いよいよリゾートとらしくなってきた。荒々しい山肌、灌木、さざ波の地中海。ハワイやフロリダ・カリフォルニアの古いスタイルのコンドミニアムのようなものも、海沿いに並んでいる。

Imperiaというところは、かなり規模の大きい街のようだった。ローマ風の石積みの館が見える。続いて、San Remoという、イタリアン・リビエラでは耳にしたことのある街に到着。しかし地下駅。なんだか損をした感じだ。そしていよいよ、イタリア・フランス国境のVentimigliaに到着。車内では乗務員が交代し、急にフランス語のアナウンスが始まる。
 

 
その後も同じような山間のリゾートが続く。いよいよ間もなくモナコだ。トンネルに入る。列車がスピードを落とし始める。車窓から、カジノや、モナコグランプリのコースは見えるだろうかと、期待が膨らむ。止まった。なんとモナコも地下駅だった。駅だけでなく、モナコ領内はすべて地下。まったくその姿を見ることは出来なかった。しかしこのモナコ駅は、ホームだけでも驚くほど洗練されたものだった。庶民的なイタリアからわずか数キロだと言うのに、ここだけ何十年も進んでいるような印象を受けた。
 


 

列車の終点ニースに到着。結構大都市のはずなのに、雑然とした雰囲気は皆無。表通りだけかも知れないが、排気ガスに煤け、壁のはがれそうな手入れの悪い建物がまるで目につかない。めちゃくちゃ爽やかでこじゃれている。これがコート・ダジュールというものか。恵まれた気候の地に、パリを持って来たかのような洗練。ここがフランス領になったのは1860年。その少し前にカリフォルニアがメキシコから割譲され、今ではメキシコとの間に高い国境が成立したのと同様に、わずか150年の間にニッツァ(ニースのイタリア読み)はずいぶんとイタリアから引き離されたように思える。
 



 

照りつける地中海の太陽を浴びながら、歩いてフェリー乗り場に向かう。5キロほどあっただろうか。ジェノバのダウンヒルで痛くなった脚が、また痛みだす。何故この緯度でこの日差しなのか、本当にわからないほどの太陽の輝き。大きな砂利の浜辺では、結構ご年配の方までビキニで焼きまくっている姿が遠目に見える。今回ニースには泊まらなかったが、非常に美しいところだと思う反面、ここに泊まるのはもっと歳をとってからでも良いのではないかとも思った。およそ人生のことがわかった後で、およそお互いのことがわかりあった関係の人と滞在する。そんな旅が似合う場所ではないかと。
 


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